相続財産である預金・貯金(預貯金)の引き出しについて知りたい人「父が亡くなりました。母は先に亡くなっています。相続人は私たち兄弟姉妹です。遺産分割で揉めているのですが、父の葬儀費用などを父の預貯金から支払えますでしょうか。」
弁護士の佐々木康友です。
相続人が複数いる場合、被相続人名義の預貯金は、共同相続人全員の合意がない限り、遺産分割が行われるまで、原則として引き出しができません。
しかし、共同相続人のなかには、被相続人の葬儀費用や、相続人の生活費や医療費など、相続財産である預貯金をどうしても使う必要があることがあり得ます。
そこで、2019年7月1日の民法改正により、一定の限度額の範囲内で、遺産分割前に相続財産である預金・貯金(預貯金)の引き出しができる制度が設けられました(民法909条の2)。
今回は、遺産分割前に相続財産である預金・貯金(預貯金)の引き出しをする方法について説明します。
- 遺産分割前の預金・貯金(預貯金)の引き出し制度とは
- 預貯金の引き出し制度の要件は
- 預貯金の引き出し限度額は
- 預貯金の引き出しの必要書類は
なお、貯金・預金(預貯金)の相続については、次の記事で詳しく説明していますので参考にしてください。
遺産分割前の預金・貯金(預貯金)の引き出し制度とは
相続人が複数いる場合、相続開始(被相続人の死亡)により、相続財産は、共同相続人の共有に属することになります(民法898条1項)。
しかし、相続財産が共有状態のままでは、相続人は相続財産を自由に利用・処分することができません。
そこで、共同相続人において各相続財産の最終的な帰属先を決める必要があります。
このために行われる手続きが遺産分割です(民法906条)。
被相続人名義の預金・貯金(以下「預貯金」といいます。)は、遺産分割の対象となります。
つまり、相続人が複数いる場合、被相続人名義の預貯金は、まずは共同相続人の共有(正確には準共有)に属することとなります。
そして、遺産分割が行われ、各預貯金の最終的な帰属先が決まるまでは、共同相続人全員の合意がない限り、金融機関は、原則として預貯金の引き出しに応じてくれません。
しかし、遺産分割は相続人の死後すぐに行われるとは限りません。
例えば、遺産の範囲、評価、生前贈与(特別受益)の有無などを巡って、共同相続人間で争いとなるといつまで経っても遺産分割が終わらないといったことになります。
共同相続人のなかには、被相続人の葬儀費用や、相続人の生活費や医療費など、相続財産である預貯金をどうしても使う必要があることがあり得ます。
それにもかかわらず、遺産分割が行われるまでは一切預貯金の引き出しができないこととなると、相続人の生活に大きな支障が生じてしまいます。
一方で、法定相続分の範囲内であれば無制限に引き出しができることとすると、他の相続人の相続分に影響を及ぼし、公平な遺産分割が害されることにもないかねません。
そこで、2019年7月1日の民法改正により、一定の限度額の範囲内で、遺産分割前に相続財産である預金・貯金(預貯金)の引き出しができる制度が設けられました(民法909条の2)。
預貯金の引き出しができる人
預貯金の引き出しができるのは各共同相続人となります(民法909条の2)。
本来であれば、共同相続人の合意により行使すべき預貯金債権について、法律の規定により、各共同相続人に特別に権利行使が許されたものですので、この権利を第三者に譲渡したりすることはできないと考えられています。
引き出しのできる限度額
引き出しができる預貯金には限度額が定められています。
各共同相続人の法定相続分の範囲内であれば、預貯金の引き出しを認めてもよいようにも考えられますが、それを認めてしまうと、被相続人から生前贈与を受けていた共同相続人が、他の共同相続人よりも相続財産を多く取得しすぎることとなり、公平な遺産分割が害されることから、一定の範囲に限定されています。
預貯金の引き出しは、次の①と②のうち少ない方の金額に限られます。
- 個々の預貯金債権の金額の1/3に引き出しを請求する相続人の法定相続分を乗じた金額(民法909条の2)
- 金融機関ごとに150万円(令和5年7月9日現在・平成30年法務省令第29号)
①個々の預貯金債権の金額の1/3に引き出しを請求する相続人の法定相続分を乗じた金額
各共同相続人が単独で預貯金の引き出しができる範囲は、個々の預貯金債権の金額の1/3に、引き出しを求める相続人の法定相続分を乗じた金額になります。
ポイントは、引き出しのできる金額は個々の預貯金債権ごとに計算されるということです。
ある銀行に被相続人名義の預金口座が3つあったら、口座ごとに引き出しのできる金額が計算されます。
預貯金額は、相続開始時の金額が基準となります。
つまり、相続開始後、利息の支払い等により預貯金額が増加してもその分は限度額の算定において考慮されません。
引き出しの請求を受けた金融機関において、金額の計算に困らないようにするためにこのような取り扱いとされています。
②金融機関ごとに150万円
①にかかわらず、各共同相続人が引き出しのできる金額は、金融機関ごとに150万円が上限とされています(令和5年7月9日現在・平成30年法務省令第29号)。
同一の金融機関に被相続人名義の複数の口座がある場合は、合算して150万円となります。
引き出しの設例
被相続人Xは、甲銀行に普通預金900万円、定期預金900万円、乙銀行に普通預金450万円を有していた。相続人は、Xの子A・B・Cの3人である。
子Aは、民法909条の2により、いくら預貯金の引き出しを受けることができるか。
相続人は子A・B・Cの3人ですので、子Aの法定相続分は1/3となります。
まず、甲銀行について、
普通預金の引き出し限度額は、900万円×1/3×1/3=100万円
定期預金の引き出し限度額は、900万円×1/3×1/3=100万円
となり、合計200万円となりますが、限度額150万円を超えていますので、甲銀行からの引き出し限度額は150万円となります。
一方、乙銀行については、
普通預金の引き出し限度額は、450万円×1/3×1/3=50万円
となり、150万円未満ですので、乙銀行からの引き出し限度額は50万円となります。
この引き出しについては、裁判所の手続きは必要ありません。各金融機関に直接請求が可能です。
預貯金の引き出し制度を利用して共同相続人が預貯金の引き出しを受けた場合、引き出しを受けた金額については遺産分割により取得したものとみなされます。
金融機関では、便宜払いと呼ばれる制度がありました。
便宜払いとは、金融機関がその取引先に対し、正規の手続きを省略して、金融機関の責任においてお金の融通をすることです。
遺産分割に関していえば、被相続人の葬儀費用などの緊急の必要がある場合には、共同相続人全員の同意を得ていなくても、被相続人の預貯金の引き出しに応じるというものです。
しかし、便宜払いには金融機関のリスクが伴います。今後は、民法909条の2に基づく預貯金の引き出し制度のみで対応されるものと考えます。
引き出し請求の必要書類
預貯金の引き出しの請求の必要書類は金融機関により異なりますが、次の事項を証明する戸籍謄本、除籍謄本、改正原戸籍謄本が該当します。
- 被相続人が死亡した事実を示す資料
- 相続人の範囲を示す資料
- 払戻しを求める者の法定相続分が分かる資料
引き出しの効果
引き出しのされた預貯金については、遺産分割により取得したものとみなされます。
被相続人から生前贈与(特別受益)を受けていた相続人が預貯金の引き出しを行った結果、相続財産を多く取得しすぎていることがあり得ます。
この場合は、共同相続人間の公平を保つため、遺産分割において超過部分を精算するべきと考えられます。
遺産分割調停・審判における留意事項
遺産分割調停・審判の申立書に、遺産分割前の預貯金の払戻しの有無及びこれがあるときはその内容を記載することが求められます(家事事件手続規則102条1項4号)。
具体的には次の事項の記載が必要となります。
- 権利行使をした預貯金債権の金融機関名・支店名・口座種別・口座番号等
- 共同相続人の氏名
- 権利行使日
- 金額