特別受益の持ち戻し免除の意思表示について知りたい人「父が亡くなりました。代々商売を営んでおり、私が後を継いだため、商売に使う土地や建物は私が生前贈与を受けました。遺産分割協議で、土地や建物については特別受益の持戻し免除の意思表示を主張したいのですが認められるでしょうか。」
弁護士の佐々木康友です。
今回は特別受益の持ち戻し免除の意思表示について説明します。
相続人が、被相続人から遺贈・生前贈与を受けていた場合、遺産分割にあたっては、被相続人の相続財産の額にこの遺贈・生前贈与の額を加えた上で、各相続人が実際に取得する相続分(具体的相続分)を算定するのが原則です。
これを特別受益の持ち戻しといいます(民法903条1項)。
被相続人は、特別受益の持ち戻しをしないことを選択することができ(民法903条3項)、これを特別受益の持ち戻し免除の意思表示といいます。
遺産分割では、相続人に対する特別受益(遺贈・生前贈与)について、被相続人の持ち戻し免除の意思表示が認められるかが大きな争点となることがあります。
また、2018年の民法改正により、配偶者の老後の生活保障を目的として、婚姻期間が20年以上である夫婦の一方が他方に対し、居住用の建物又はその敷地を遺贈又は贈与したときは、特別受益の持ち戻しの免除の意思表示があったものと推定されるという規定が作られました(持ち戻し免除の意思表示の推定規定)(民法903条4項)。
本記事では、特別受益の持ち戻し免除の意思表示に関する問題について、解決に向けた考え方をわかりやすく説明します。
本記事を参考にされて、相続人間の協議が円滑に進み、早期に遺産分割が実現されれば幸いです。
- 特別受益の持ち戻しとは
- 特別受益の持ち戻し免除の意思表示とは
- なぜ特別受益の持ち戻し免除の意思表示が認められるのか
- 特別受益の持ち戻し免除の意思表示の方法は
- どのような場合に黙示の持ち戻し免除の意思表示は認められるのか
- 持ち戻し免除の意思表示の推定規定とは
特別受益の持ち戻しとは
まず、特別受益の持ち戻し免除の意思表示について説明する前に、特別受益の持ち戻しとは何かについて説明します。
特別受益とは、相続人が、被相続人から、遺贈を受け、又は婚姻若しくは養子縁組のため若しくは生計の資本として贈与を受けた場合をいいます(民法903条1項)。
つまり、特別受益とは、相続人が、被相続人より受けた次のものが含まれます。
- 遺贈
- 婚姻若しくは養子縁組のための贈与(生前贈与)
- 生計の資本としての贈与(生前贈与)
ある相続人が特別受益を受けている場合、これを遺産分割において考慮しないと、その相続人に遺産の配分が多く偏ることとなり、不公平な結果となりかねません。
そこで、民法では、特別受益を受けた相続人と、それ以外の相続人との間に不公平が生じないように、被相続人の相続財産に特別受益を加算して、遺産分割をするにあたっての計算上の相続財産(みなし相続財産)を確定させ、これに基づいて各相続人が実際に取得する相続分(具体的相続分)を算定することとしています(民法903条1項)。
これを特別受益の持ち戻しといいます。
各相続人が実際に取得する相続分(具体的相続分)の計算式を示すと次のとおりとなります。
特別受益の持ち戻しについて詳しくは、次の記事で解説していますので、ぜひご覧ください。
特別受益の持ち戻し免除の意思表示とは
上で説明したとおり、民法903条1項により、特別受益については持ち戻しをするのが原則となりますが、被相続人が、これと異なる意思を表示したときには、その意思に従うこととされています(民法903条3項)。
つまり、被相続人は、特別受益の持ち戻しをしないことを選択することができます。
これを特別受益の持ち戻し免除の意思表示といいます。
被相続人の遺産をどのように処分するかは、本来であれば被相続人の自由であるため、その意思を尊重しようとするものです。
民法903条(特別受益者の相続分)
1 共同相続人中に、被相続人から、遺贈を受け、又は婚姻若しくは養子縁組のため若しくは生計の資本として贈与を受けた者があるときは、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与の価額を加えたものを相続財産とみなし、第九百条から第九百二条までの規定により算定した相続分の中からその遺贈又は贈与の価額を控除した残額をもってその者の相続分とする。
2 遺贈又は贈与の価額が、相続分の価額に等しく、又はこれを超えるときは、受遺者又は受贈者は、その相続分を受けることができない。
3 被相続人が前二項の規定と異なった意思を表示したときは、その意思に従う。
特別受益の持ち戻し免除の意思表示の方法
特別受益の持ち戻し免除の意思表示の方法は、生前贈与と遺贈とで異なります。
生前贈与の場合
生前贈与の場合、特別受益の持ち戻し免除の意思表示の方法は問われません。
贈与と同時に持ち戻し免除の意思表示をすることもありますし、明示の意思表示がなく黙示の意思表示の場合もあります。
遺贈の場合
遺贈は、遺言により、被相続人の死亡時に財産を贈与するものです。
遺贈について持戻しの免除をする場合はその旨を遺言に定めることができます。
それでは、遺贈の持ち戻し免除の意思表示は必ず遺言によらなければならないのかですが、民法に遺言でなければならないとの規定はありませんので、必ず遺言である必要はありません。
ですので、遺言以外の方法で持ち戻し免除の意思表示をすることもできます。
また、遺言その他の方法で持ち戻し免除の意思表示が明示されていなくても、黙示の特別受益の持ち戻し免除の意思表示が認められる余地があります。
但し、これまで説明したとおり、特別受益については原則として持ち戻しをすることとなっているのは、相続人間の公平を図るためです(民法903条1項)。
その公平の要請を排除してもなお、被相続人の意思を尊重して、持ち戻しの免除を認めようというのです。
そうであれば、遺贈について、黙示の持ち戻し免除の意思表示を認めるのであれば、生前贈与の場合より明確な意思表示の存在が認められるべきと考えます。
黙示の特別受益の持ち戻し免除の意思表示
実務上問題となるのは、殆どの場合、黙示の特別受益の持ち戻し免除の意思表示が認められるかどうかです。
それでは、どのような場合に黙示の持ち戻し免除の意思表示が認められるのでしょうか。
黙示の特別受益の持ち戻し免除の意思表示は、文字通り、意思表示が明示されていなくても、持ち戻し免除の意思表示があったとするものです。
そのため、実務では、持ち戻し免除の意思があったと認められるかどうかは、持ち戻しの免除の意思を認めるのが合理的といえるかどうかという観点から検討されているように思われます。
黙示の持ち戻し免除の意思表示があったかどうかは次のことを総合的に考慮することになるといわれています(雨宮則夫・石田敏明編「遺産相続訴訟の実務」)。
- 贈与の内容及び価額
- 贈与がされた動機
- 被相続人と贈与を受けた相続人及びその他の相続人との生活関係
- 相続人及び被相続人の職業、経済状態及び健康状態
- 他の相続人が受けた贈与の内容・価額及び持ち戻し免除の意思表示の有無
実務上は、次のような場合が問題となることが多いです。
①特定の相続人を優遇する理由や必要性があったかどうか
家業を承継させるため、家業を継いだ相続人に対し、家業に使用する土地や建物を贈与することがあります。
他の相続人には家業を継ぐ意思がない場合には、家業を守るために家業を継いだ相続人に財産を贈与する必要があるので、黙示の持ち戻し免除の意思表示が認められる場合があります。
②親族としての扶養義務の範囲内か
病気などにより独立した生計を営むことが困難な相続人に対し、生活保障を目的として贈与することがあります。
また、配偶者の老後の生活のために贈与することもあります。
これらの場合、扶養義務の履行であるとして、そもそも特別受益とはならないことも多いですが、仮に、特別受益であったとしても、黙示の持ち戻し免除の意思表示が認められることがあります。
③全員に平等に贈与している場合
相続人の全員に平等に贈与している場合は、相続人間の公平が害されることもないので、全員について黙示の持ち戻し免除の意思表示が認められることがあります。
④実質的な対価を支払っている
相続人の一人が、被相続人を介護しており、被相続人がその相続人に贈与していることがあります。
この場合、贈与は介護の対価といえるので、黙示の持ち戻し免除の意思表示が認められることがあります。
⑤社会的慣行や風習
被相続人の居住する地方において社会的慣行や風習等が認められる場合があります。
特別受益の持ち戻し免除の意思表示の推定規定(民法903条4項)
2018年の民法改正により、配偶者の老後の生活保障を目的として、婚姻期間が20年以上である夫婦の一方が他方に対し、居住用の建物又はその敷地を遺贈又は贈与したときは、特別受益の持ち戻しの免除の意思表示があったものと推定されるという規定が設けられました(民法903条4項)。
この新たな規定について、次の設例を用いて説明します。
夫Aが亡くなった。相続人は、妻B、弟Cである。夫Aと妻Bの婚姻期間は50年である。夫Aの遺産は銀行預金2000万円のみである。妻Bは、夫Aが亡くなる5年前、夫Aより、夫A所有の自宅の土地建物(評価額4000万円)の生前贈与を受けていた。
持ち戻し免除の意思表示の推定とは
被相続人により、特別受益の持ち戻し免除の意思表示が明確に示されていればよいのですが、被相続人が、そもそもそのような制度があることを知らない場合も多いのが実情です。
上のケースでは、夫Aが妻Bに対して夫A名義の自宅の土地建物を生前贈与してますが、特別受益の持ち戻し免除の意思表示が認められないと、遺産分割にあたり生前贈与の額が相続財産に加算されることとなります。
仮に、上のケースで、妻Bに対する自宅の土地建物の生前贈与について特別受益の持ち戻しがされるとすると、次のような計算になり、妻Bは、2000万円の遺産のうち500万円しか取得できず、残りの1500万円は弟Cが取得します。
【相続開始時の遺産総額】= 20,000,000円
【特別受益となる贈与の額】= 40,000,000円
【みなし相続財産】= 20,000,000円 + 40,000,000円 = 60,000,000円
【一応の相続分】
妻B:60,000,000円 × 3/4 = 45,000,000円
弟C:60,000,000円 × 1/4 = 15,000,000円
【具体的相続分】
妻B: 45,000,000円 - 40,000,000円 = 5,000,000円
弟C: 15,000,000円
こうなると、妻Bは、生前贈与により自宅の土地建物を取得しているがために、銀行預金をほとんど取得できず、夫A亡き後の生活資金が不足することになるおそれがあります。
しかし、夫Aとしては、妻Bの老後の生活保障のために自宅の土地建物を生前贈与したはずなのに、それがゆえに妻Bが遺産を相続することができなくなることを望んではいないと考えるのが通常です。
そこで、2018年(平成30年)の民法改正によって、婚姻期間が20年以上である夫婦の一方が他方に対し、その居住の用に供する建物又はその敷地について遺贈又は贈与をしたときは、特別受益の持ち戻し免除の意思表示があったものと推定されることとなりました(民法903条4項)。
冒頭のケースでは、特別受益の持ち戻し免除の意思表示が推定される場合、遺産分割にあたっては、自宅の土地建物の生前贈与は考慮されず、妻Bと弟Cが、銀行預金2000万円を法定相続分どおりに取得することになります。
【具体的相続分】
妻B: 20,000,000円 × 3/4 = 15,000,000円
弟C: 20,000,000円 × 1/4 = 5,000,000円
なお、冒頭のケースでは、夫Aが妻Bに生前贈与する場合の説明をしましたが、夫が遺言で土地建物を遺贈する場合にも当てはまります。
民法903条4項はあくまでも、特別受益の持ち戻し免除の意思表示があったことを推定する規定です。
そのため、他の相続人により、被相続人には持ち戻し免除の意思はなかったと証明された場合には、推定は覆されて原則どおりに特別受益の持ち戻しがされることになります。
持ち戻し免除の意思表示の推定の要件
民法903条4項の特別受益の持ち戻し免除の推定が認められる要件は次のとおりとなります。
- 遺言(遺贈)・生前贈与時、夫婦の婚姻期間が20年以上であること
- 居住用不動産(建物又はその敷地)を遺贈・生前贈与したものであること
民法903条4項(特別受益者の相続分)
婚姻期間が20年以上の夫婦の一方である被相続人が、他の一方に対し、その居住の用に供する建物又はその敷地について遺贈又は贈与をしたときは、当該被相続人は、その遺贈又は贈与について第一項の規定を適用しない旨の意思を表示したものと推定する。
①遺言(遺贈)・生前贈与時、夫婦の婚姻期間が20年以上であること
①遺言(遺贈)・生前贈与時に、夫婦の婚姻期間が20年以上経過していることが必要となります。
例えば、夫が妻に対し、婚姻して15年経過時に生前贈与をして、その10年後に亡くなった場合には持ち戻し免除の意思表示は推定されません。
同様に、婚姻して15年経過時に遺贈する内容の遺言を作成して、その10年後に亡くなっても持ち戻し免除の意思表示は推定されません。
結婚と離婚を繰り返している場合、婚姻期間が通算で20年以上であれば、持ち戻し免除の意思表示は推定されます。
なお、民法903条4項では、「婚姻」とされているので、事実婚の期間を含めることはできません。
②居住用不動産(建物又はその敷地)を遺贈・生前贈与したものであること
まず、遺贈・生前贈与の対象は、居住用不動産でなければなりません。
なぜならば、903条4項の持ち戻し免除の意思表示の推定規定は、配偶者の老後の生活保障を目的としているからです。
住居兼店舗の場合、少なくとも住居部分は、持ち戻し免除の意思表示の推定規定の適用があると考えられます。
店舗部分については、不動産の構造・形態、被相続人の遺言の趣旨などにより、推定規定が働く場合はあるでしょうし、そうでなくても持ち戻し免除の意思表示が認められると考えるのが合理的であると考えます。
また、居住用不動産であるかどうかは、遺言(遺贈) ・生前贈与時を基準として判断されます。
つまり、遺言(遺贈)・生前贈与 時に居住用不動産とする目的があることが必要です。
なお、遺言(遺贈)・生前贈与時に居住用不動産として使用されていることまでは要求されません。
近い将来において居住用不動産として使用する目的があれば、生前贈与・ 遺言(遺贈) 時には居住用不動産として現実に使用されていなかったとしても、持ち戻し免除の意思表示の推定は認められます。
相続税法では、婚姻期間が20年以上の夫婦の間で、①居住用不動産又は②居住用不動産を取得するための金銭の贈与が行われた場合、贈与税について、基礎控除110万円のほかに最高2000万円まで控除(配偶者控除)できるという特例があります。
ただし、贈与税の特例の対象は贈与のみであり、遺贈は含まれません。
遺留分の算定には影響を与えない
特別受益の持ち戻し免除の意思表示が推定が働く場合であっても、遺留分の算定には影響を与えません。
つまり、遺留分算定の基礎財産を算定するにあたっては、持ち戻し免除の意思表示が推定される特別受益についても加算されることになります。
遺留分侵害額の計算手順についてはこちらの記事に詳しく説明していますから参考にしてください。
まとめ
今回は、特別受益の持ち戻し免除の意思表示について説明しました。
実務上、特に問題となるのは、黙示の特別受益の持ち戻しの意思表示が認められるかどうかです。
黙示の特別受益の持ち戻しの意思表示については、実務上も判断基準が定まっているわけではなく、高度な法律的主張が求められます。
黙示の特別受益の意思表示が遺産分割における争点となる場合は、弁護士に相談することも検討した方がよいでしょう。